翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームズ・V・フォレスタル
・ ジェームズ・W・グッド
・ ジェームズ・W・デミント
・ ジェームズ・W・トリンブル
・ ジェームズ・W・ブラック
・ ジェームズ・W・マッコード・ジュニア
・ ジェームズ・アイボリー
・ ジェームズ・アイヴォリー
・ ジェームズ・アシュソン
・ ジェームズ・アッシャー
ジェームズ・アバークロンビー (将軍)
・ ジェームズ・アバークロンビー (陸軍大佐)
・ ジェームズ・アブラム・ガーフィールド
・ ジェームズ・アベグレン
・ ジェームズ・アルフレッド・バン・アレン
・ ジェームズ・アルフレッド・ルーズベルト
・ ジェームズ・アルフレッド・ヴァン・アレン
・ ジェームズ・アレキサンダー・セドン
・ ジェームズ・アレキサンダー・セードン
・ ジェームズ・アレキサンダー・ハミルトン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームズ・アバークロンビー (将軍) : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・アバークロンビー (将軍)[ぐん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 
将軍 : [しょうぐん]
 【名詞】 1. general 2. shogun 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

ジェームズ・アバークロンビー (将軍) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・アバークロンビー (将軍)[ぐん]

ジェームズ・アバークロンビー(James Abercromby(またはAbercrombie)、1706年 - 1781年4月23日)はイギリス陸軍大将。フレンチ・インディアン戦争における北アメリカ総司令官(Commander-in-Chief)であり、1758年カリヨンの戦い(第一次タイコンデロガの戦い)で悲惨な敗北を喫した。
== 経歴 ==
ジェームズ・アバークロンビーはスコットランドバンフシャイアBanffshire)州のGlassaughの裕福な家庭に生まれた。1742年少佐の階級で陸軍に入隊し、1746年には大佐1756年には少将に昇進した。1757年ルイスバーグ要塞での戦いで旅団を指揮し、1758年3月にはジョン・キャンベルJohn Campbell)の離任のあと、北アメリカのイギリス軍総司令官となった。
その夏、彼はタイコンデロガ砦に攻撃を仕掛けた。アバークロンビーは組織をまとめる才能はあったが、リーダーシップに関しては確固たるところに乏しく、配下の兵士からは「クロンビーおばちゃん(''Mrs. Nanny Cromby'')」と呼ばれていた。彼は15,000人の部隊を編成して補給物資とともに荒野を移動するという注目すべき成果を上げたが、7月8日にはそのうちの2,000人が死傷するにいたった。それは、大砲と3,000人の兵士で守られた石造りの砦は、15,000人の兵士が正面から銃剣突撃しても落とせないということを証明しただけだった。アバークロンビー部隊は浮き足立ち、ジョージ湖の南にある守備の堅固な基地まで潰走した。この惨敗によってアバークロンビーはジェフリー・アマースト将軍に交替させられ、1759年にイングランドに召還された。イングランド帰還後は下院議員となり、アメリカ植民地への強硬策を推し進めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・アバークロンビー (将軍)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.